高岡 紗知子
Sachiko Takaoka

いろいろやってみて、最終的に向いていると思えた人事の仕事にたどりついたのは約10年前。それから転職を繰り返し、いまは150人ほどの外資系ソフトウェア会社で人事部長をやっています。このへんがキャリアの限界か?と思いつつ、日々あがいています。

人の話を聞くのは得意ですが、意見を主張するのは苦手です。こういう奥ゆかしい人間ですので、キャリア・カウンセリングの資格を取りました。老後はキャリア・カウンセリングをボランティア的に行い、英語を教えてすごそうと思っています。

個人的には「晩婚のススメ」を標榜しており、自身も42歳で再婚し、以後幸福に暮らしております。少子化問題解決には貢献できませんが、自分の生活スタイルや価値観が決まってから結婚すると、うまく行くものです。ですから皆さん、いま独身だからといって焦る必要はありません。

趣味はイギリスの小説を読むこと、レジナルド・ヒルの大ファンです。それからイギリスのロックで、ギタリスト好きです。でもイギリスに行ったことはありません。

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毎日、社員からの要望(実は文句)に対応し、経営側からの相談(実は愚痴)につきあい、どちらも怒らせないことに腐心しつつ、自分の思う方向へ何気なく、いつの間にか誘導しようとする。こんな頭の痛い、マキャベリ的作業を毎日行っている私は、近ごろ胃が痛い人事部長です。こんな仕事はもうイヤ!と思い、辞められない自分を嘆き、でも誰かが喜んでくれたりするとまた気を取り直し……。そんな中で考えたことを脈略なくつづっていこうと思います。

2008年12月29日

アンドリュー・ワイエスの世界

アンドリュー・ワイエスという画家は、高校の英語の教科書にとりあげられたりしているので、ご存知の方も多いかもしれません。しかしテーマが、アメリカの田舎の生活で、暗く寂しい印象の絵ですので、それほど人気が出るとは思えないのですが、先日東京であった展覧会は、平日を選んで行ったのに大盛況でした。ワイエスでこれだけ混んでいるのだから、他の展覧会はすごいことになっているのだろうと思います。

ワイエスの絵から感じるものは、人それぞれですが、私が感じるのは、人間の営みというものはいずれ滅びて無になること、それを痛切に自覚していればこその、現在の営みの濃密な存在感、です。たとえば、男とランプの絵があります。暗い部屋をぼんやり照らしているランプは、精密に美しく描き込まれ、圧倒的な存在感を持っています。その横に座る、中年の農夫の、諦めたような、しかし内面の強靱さを秘めた表情。この、ランプと男の周辺だけが、広い画面に濃密な存在感をもって描かれ、あとの画面は、空虚や無につながる空間なのです(と私は感じます)。

ワイエスの絵の画面構成は、人物や家などが三分の一ぐらいに描かれ、あとの背景が不気味な感じで空虚に拡がっているものが多いです。そして描かれている人物や家は、風雪にさらされ苛酷な運命に耐えてきたことがわかります。ただ、その中にも、小さな楽しみや喜びがあったことも、わかります。そのように、様々な出来事と思いを経て生きてきた人間は、やがて滅びて無となる、ということを私はワイエスの絵から痛切に感じます。

いちばん有名なのは「クリスティーナの世界」という絵だと思います。脚に障害のある女性、クリスティーナが、一人で農作業から這って家に帰るところです。広大な世界に、ぽつんと立つ家、そこに向かって這っていくもっと小さなクリスティーナ、でも彼女からは、苛酷で孤独な生活に打ちのめされていない強さもにじみ出ています。

今回初めて知ったのですが、アンドリュー・ワイエスは身体が弱かったので学校に行かず、家庭教師によって教育を受けたそうです。おそらく、孤独な少年時代をアメリカの田舎で送ったことが、彼の画風の土台となったのだと思います。

私にとっては、最も共感できる画家です。

2008年12月18日

右肩上がり神話

世界規模の大不況であるわけですが、論評を読んでいると、「いつかは、この不況も終わり、元の世界に戻り、自動車も家電も贅沢品も、需要が元に戻る」という前提があります。なぜ、このように楽観的になれるのか、不思議でなりません。私は、元の世界には戻らないのではないかと思います。

モノが売れず、需要が落ちているのは、もちろん将来への不安もありますが、そのように買わずに我慢しているうちに、今までのモノに飽きたことに気づいた、という側面もあるのではないでしょうか? エネルギー問題、環境問題、人口の爆発、といったことを考えていけば、このままの大量消費社会ではうまく回らないという結論になりませんか。だいたい、毎日毎日、エコエコと煽られていますから、では違う暮らし方をしてみようという気になったとしても、不思議ではありません。

企業のトップの、50代から70代の方々というのは、「新しいクルマが欲しいはずだ」「新しい冷蔵庫が欲しいはずだ」という観念を持っています。自分たちがそうだったので、みんなそうだと思っています。でも、今どきの若い世代は、新しいクルマが欲しいと思っている人は多くないのだそうです。そもそも、物欲もあまりないという話も聞きます。自転車に乗り、貯金をし、つましく暮らしている若者が増えているのだそうです。

この不況を契機として、これからの社会で何を作れば売れるのかをもう一回、きちんとリサーチして、やり直さなくてはいけないのではないでしょうか? もちろん世の中からクルマや家電がなくなることはないでしょうが、これまでのようにこれらの産業が右肩上がりで成長するとは思わないほうがいいのではないでしょうか。

でも、その一方で、必要なもの、売れるものは必ずあるはずです。

厚生年金を脱退したい!

日々報道される社会保険庁の恐るべき仕事ぶりには、呆れてしまいますが、今朝のテレビで本当に驚いたのは、こんなニュースです。あるお年寄りの年金を受給資格がないとして支払わず、彼女は無年金で79歳まで働き、とうとう倒れて寝たきりになってしまいました。ところが、実は受給資格があり、その金額は3600万円だということがわかったというのです。これがすぐ支払われるのならまだしも、「まあー、1年ぐらいかかりますねー」と社会保険庁は言うのだそうです。事務処理が山積していることは容易に想像できますし、だから時間がかかるというのでしょうが、金額の多寡や状況に応じて、臨機応変な判断をすることはできないのでしょうか。というか、根本的に、この女性は無年金であったことによって、人生を大幅に変えられてしまったのです。慰謝料ものだと思います。いやいや、お金で解決出来る問題でもありません。本当に、ひどい話です。

こういうのを見ると、私は心から、厚生年金を脱退させて欲しいと思うのです。国家による詐欺みたいな目に遭うかもしれないのですから、いっそのこと、タンス預金でもしていたほうが、マシではないでしょうか。この制度を維持することが、今のお年寄りたちを養うことになるからというなら、別の方法で、寄付したりして、きちんと使われていることを見届けたいです。

しかし、厚生年金への加入がオプションになれば、この制度は破綻するに決まっています。そうすると、今まで支払ってきたお金もパーになってしまうのでしょう。

嗚呼、と嘆くしかありません。とにかく、社会保険庁の他人事みたいな、四角四面の対応を、やめてほしいです。

2008年12月16日

医者の実力

今年、自慢できることは、歯医者にほぼ8ヶ月通い続け、とうとう悪いところは全部直してしまったことです。それのどこが偉いのかね?と思われるかもしれませんが、私はとても恐がりだし、面倒くさがりで、同じ歯医者に通い続けたことがなかったのでした。それが、家の近所で開業まもない歯医者を見つけ、説明も丁寧だし、待たされることもあまりないし、腕も確かだと思われ、治療をまっとうすることができたのです。H先生、ありがとう。

歯医者をはしごすることになったのには、恐がり、面倒くさがりの他にもいろいろと理由があるのですが、まずは「信用がおけない」。治療が始まったばかりなのに、差し歯の値段の話ばかりしたり。その歯医者では、抜いたはずの歯のかけらが歯肉の中に残っていたので、別の歯医者で、切開して取り出したのです。それから、「待ち時間がひたすら長い」。「歯医者が疲れ切っている」、これも、判断を誤ったり手元が怪しくなるんじゃないかと不安になります。

はしごをしていて思ったのは、歯医者によって、見たてが違うことが多いということです。「この歯は、抜いた方が良い」「いや、残した方が良い」、「神経を取ってしまおう」「まだ大丈夫」など、正反対の判断をされるのです。いったい、誰を信用したら良いのか?

しかしこれは歯医者だけではありません。いまちょっとした病気で病院に通っていますが、最初に行っていた病院では「これは軽く見ないほうがいい」と言われたことが、なんか信用できなくて別の病院に行くと「ピンピンしてるんだから心配するな」と言われる。

要するに、医者といっても万能ではないし、能力差もあって、鵜呑みにはできないということらしいです。全然分からない医学の世界だから、お任せしますの姿勢になってしまいますが、それではいけないのだなと思いました。

2008年12月11日

内定取り消しに思うこと

企業の内定取り消しが相次いでおり、また期間従業員や派遣労働者の解雇も多く、年末の寒空にほんとうに大変だなあ。と思います。

企業側の理屈としては「新卒の場合は、どうせ雇用が続けられないのに、雇ってもしょうがない」とか、「派遣社員というのは、こういう時に切れるから派遣なのだ。」とか、「企業の存続のために、正社員よりは契約社員を切るのが先でしょう。」とか、いろいろあるでしょう。私も人事の仕事をしている以上、そういう理屈はよく分かります。

こういう時に、私がよく遭遇するのは、お互いに自分の側の理屈だけを声高に言ってしまい、対立してしまって、最悪のケースでは個人的な憎悪につながるというものです。

しかし、特に企業側の人間が、相手の立場を考え、「きっと、つらいであろう」ということに思いを致し、そのつらさを、少しでも和らげてあげられないかということを考えて応対したならば、憎悪にまで至ってしまうことは、ないでしょう。

企業側の人間は、ただ単に企業の意向を反映しているにすぎず、自分が決めたことでも、おそらく支持・賛同していることでもないのに、立場上やらされているにすぎないわけです。それを、ただひたすら企業側の理屈を主張したために(なんとかして押さえつけて勝とうとして)、まるで個人として悪い奴であるかのように憎悪されるのは、まったく割に合わないというか、損であると思います。

もちろん、出来ることは少ないか、ないことも多いでしょうが、それでも、相手の気持ちを聞き、理解するだけで、相手の感情はずいぶん違ってきます。そして、気持ちが理解できた時に、もしかしたら出来ることがあると気づくかもしれません。

企業側は、そもそも内定を取り消したり、解雇した時点で、勝っている側ですから、今さら声高に、居丈高に、相手に勝とうとしなくてもいいんではないでしょうか。むしろ、ひどい仕打ちをされている人間に対して、人間としての思いやりを示すのが正当だろうと、私は思います。そしてそれこそが、解決への道だと思います。

2008年12月10日

まったく今日的でない、今年の読書ベスト3

今年も幅広く、いろいろな本を読みましたが、あまり印象に残る本は少なかったです。

その中で、ベストワンを上げるならば、カミュの「ペスト」です。
なぜ今さら、こんな古典を読んだかといえば、最近の作家の文章の軽さ(おおげさでなく、1時間もあれば、1冊読めてしまいます)に、もっとじっくり味わえる文章を読みたいと思ったからでした。
「ペスト」を読むのは二度目ですが、実に中身の詰まった重厚な文章で、一つ一つ、読み応えがあります。
また、「ペスト」の世界には、神に頼らない人間が、毎日を、出来る限り誠実に生きていこうとする意思、とでもいったものがあふれており、リリカルな美を感じます。
極限状況にある人間を描いた作品は山ほどありますが、こんなに人間を多方面から深く、詩的に描いた作品は他になく、本当にこれは名作だ。と思います。

で、ナンバー2は、「異邦人」です。発表当時、主人公の「変人ぶり」がセンセーショナルに受け取られた作品ですが、2008年の今となってみれば、主人公がおかしな人間であると感じることはなく、至極当然のことをしたり、感じている(さすがに殺人はちがいますが)のに、周囲がそれをまったく理解せず、受け入れないことに驚きます。
この作品も、名文です。特に母の葬式の場面は、何回も読み返して飽きないほど、孤独に、美しく、繊細に描けています。

ナンバー3は、「富嶽百景」です。太宰治も、破滅的な生活ばかりがクローズアップされる作家ですが、この文章は本当に美しいです。月見草が咲いている描写も、すごいですが、女に裏切られて、お酒を飲み続けて、夜明けに便所の窓から富士を見て、泣いたという場面が、他の誰にもとうてい書けないと思いました。

ストーリーをとにかく書いていくような雑な文章でなく、一つ一つの場面や心情を、忘れられないぐらい印象的に切り取るような文章を、読みたいのです。もう、残り少ない人生なので、ずっと大切にしたいような作品に、出会いたいです。

2008年11月13日

言いたくはないが。。。

あまり、政治のことは書きたくないのですが、今回の生活支援給付金の件は、とてもがっかりしました。

いくら何でも、ここまでお馬鹿ではあるまい、と思っていたのですが。。。

一時金を幅広くばらまいても、焼け石に水、大海の一滴、効果があるとは思えません。、もらったら「貯金する」「ローンを返す」と言っている人も多く、私もそのつもりです。景気を良くするような効果は、ないでしょう。

それと、収入が高い人は辞退しろと言っていますが、「もらえるものは絶対にもらう、だからこそ、お金持ち」なのであり、辞退なんか、するわけがありません。辞退するのは麻生さんぐらい。他の政治家だって、辞退しないと思いますね。

不景気の時は、なんだかんだ言っても、経験があり人材も揃っている自民党だよね、と思っていたのですが、そしてけっこうそう思っている人は多いと思うのですが、今回の給付金で、「もうダメ!もう見放すしかない。」と思ってしまった人はけっこういると思います。

一度、朝の渋谷のマクドナルドに行ってみてください。ネットカフェ難民、ホームレスとおぼしき人たちが、苦しそうな顔をして寝ています。申し訳ないけど、人間らしさを失いつつあるような、様子をしています。でも、少し前までは、彼らだって、仕事も家もあったのです。政治家なら、ああいう人たちを作らないような、政策を打つ必要があるのです。いまホームレスでも、がんばれば生活を立て直していけるような、仕組みを作る義務が、政治家にはあるのです。

どこをどう間違ったら、知性も教養も経験もある政治家のアタマから、全国民に同じ金額を一度だけばらまいて景気対策みたいな発想が出てくるのか、本当に不思議でなりません。

2008年11月07日

もっとちゃんと話そう

電車の中で不快な思いをすることが多いですが、たいていの場合、我慢しています。何か言って、開き直られたり、暴力を振るわれたりしたらよけい不愉快ですから。相手が聞く耳を持ってくれているとは、限りません。

黙って我慢したあげく、こちらが暴力的になるのは、一番いけないですね。たとえば、耳元でおばさん2人がガンガン喋っている。どうでもいいことを、大音量で喋っている。もう少し静かにしてくれよーと思い続け、ついに、「やかましいわい!」と叫んで、おばさんを殴ってしまう。こんなようなケースを、たまに目撃しませんか?

おばさんを殴る前に、一つステップが必要ですね。「すみません、とてもやかましいのですが、もう少し静かにしてください。」とごく普通に、冷静にお願いしてみる。あるいは、黙って、その場から立ち去る。どちらかが必要だと思います。

ごく普通に、冷静に、非難をこめずにお願いしたら、「何をっ!」と反撃してくる人はあまりいないと思うのですが、ただ、そういう勇気とか、非難をこめない自信がなければ、立ち去った方が、いいでしょう。私は残念ながら、非難がましくならない自信がないので、何も言わず、立ち去っています。

この、非難がましくならずに言う、というところが本当に大事で、よく、「ほらっ、音が漏れてるじゃないか!」なんて団塊世代のじじい(ごめん)に怒られたりすると、そんな言い方しなくてもいいじゃないか、気がつかなかっただけなのに。殴ってやろうか?と腹が立ちます。でもきっと、「悪かったですよ。でも、そんな言い方しなくてもいいじゃないですか。」と反論したならば、「何が悪いんだ。お前が間違っているから注意しただけだ!」と来るでしょうし、「ええ、それは悪かったですけど、でも、言い方をもう少し考えてください。」「間違っている奴に、何で遠慮する必要がありますか。まったく、常識を知らん!」とかなんとか、ああ、コミュニケーション不能だ!

もう少し、ちゃんと言葉にして、ちゃんと話せればいいのにというのが、私の思いです。私も、そういうことが出来るようになりたいです。暴力に走る前に。

2008年11月04日

政治家は金持ちではいけないのか

今日は小室哲哉氏が逮捕されました。彼の歌には関心はないです。ただ思ったのは金が彼をおかしくしたのだろうなということです。20億とかそういう単位の金を日常的に手にしていると、正常な感覚を失うのでしょう。

金は思ったよりもずっと危険なものです。バブルの時におかしくなった人がたくさんいたように、金で滅びることは簡単です。だから私は若い人にはなるべく高い給料を払わないようにと心がけています。若いうちから高給取りになると、自分を見失ってしまうからです。

最近、総理大臣がホテルのバーを飲み歩いているというのが話題になって、庶民の気持ちが分からないだの、金銭感覚が庶民と違うだのと言うマスコミがいますが、大半の「庶民」は、日本という仮にも経済大国の総理大臣だもの、ホテルのバーぐらいいいんじゃないのと思っていると私は信じています。

私はあまりお金で苦労しすぎた人は、総理大臣とか日銀総裁とか、あまりにも重大なポジションに就くのは危険だと思っているのです。お金の苦労というのは骨の髄までしみこみ、いつかは復讐してやる。という気持ちを起こさせがちだからです。そして汚職やら私利私欲のための政策やらといったことをやらかしがちです。

二世議員とか世襲というのも、あながち悪いことばかりではないと思ったりするのは、そういうことで、お金に対して私的な思い入れ、恨みつらみがない人のほうが、公正にまともな政策が出来る確率が高い面もあると思うからです。

(もちろん、苦労して貧しさから身を起こし、清廉潔白な理想を貫くことは可能であって、そういう人がいないと言っているわけではありません)

しかし今回の景気対策には、別の意味で「やっぱり庶民の気持ちが分からないんだなあ」とあきれてしまいました。1世帯に6万円とかいう一時金?をもらえても、それを持ってすぐデパートに買い物に行くとでも思っているんでしょうか。ローン返済の足しにしてしまう人が多いんじゃないでしょうか? そんな1回限りのお金をもらえてもあまり嬉しくありません。それよりは、もっと根本的に暮らしを楽にするような施策が打てなかったのでしょうか。たとえば、生活必需品には向こう半年消費税をかけないとか。。。

「きっと貧乏な人は現金をもらったら嬉しいんだよ」という、貧しさを経験したことのないお坊ちゃんならではの発想だなあと、ため息をつきました。

2008年10月27日

働く喜び

毎日、文句を言いつつ、仕事なんて、辞めたいぜーと思い、イヤイヤ会社に通っているわけですが、とにかく働くことは、つらいです。だらっとしていられないし、もっともらしい話を、しないといけないし、「成果」とか出さないといけないし、いつも、前向きなふりをしないといけないし、疲れたとか具合悪いとか、あんまり言えないし、嫌いな奴とも、つきあわねばなりません。

だいたいですね。そんないっつも前向きで、身体が丈夫で、「成果」を求めて走っていられる人間が、そんなにいるわけがない。人間だから、たまには後ろ向きな気持ちになったり、病気になったり、成果なんて、やってられるかよ!!って気持ちになったりします。

しかしです。先日、ある障害者の方を面接したのですが、障害者の方にとって、働くことに対する思いというものは、私たち健常者とは比較にならないくらい重いのだということをひしひしと感じました。働くこと=生きること。働いているからこそ、生きていると感じられる。少しでも、人の役に立ち、いろいろな人と関わり、1日1日を、大切にしたいと思う。そういう思いが伝わって来たのでした。

毎日を、こんなに切実な思いで大切にすることができたなら。投げやりになったり、時間を無駄にしたりしないで、済むものを。

でも私たちだって、いつ障害者になるか、いや、いつ人生が終わってしまうか、分かりません。死ぬことを真面目に考えれば、今日のこの日をおろそかにはできないはず。もう少し緊張感を持って、1日を大切にしたい、と思ったのでした。